僕は努力する
生まれてこの方、一度も努力したことがない。
一度もないというのは大げさだけど、どう記憶をたどっても思い当たるものは何もない。おぎゃーと叫んだ瞬間がピークだろう。
そんな僕でも、二十数年こんな社会で暮らしてきたせいか、「努力しなきゃ」という強迫観念が染み込んでしまっている。
どうせ努力なんてしないし、頑張らなくてもある程度はなんとかなる。そうわかっていても、「努力しなきゃ」が離れない。
就活を終えてゼミも卒論も講義もない大学4年生は、この時期は何かに追われるということが全くない。
そうなると自然に生活リズムも乱れて、一日を無為に過ごしてしまうことが多い。自己嫌悪に苛まれ、とっとと死にたい気持ちになる。
そんな時、言い訳偏差値70オーバーの僕は、「生活リズムが乱れているから何もできないんだ。早く起きれば何でもできるよ。」と自分を励ます。そして、目覚ましを8時にセットして、眠りにつく。
翌朝目を覚ますと、時計は10時。実質長期休暇中の大学生の起床時間としては、特別遅いわけでもない。それでも、「こんなに遅くまで寝てしまった。今日はもうだめだ。」と、終日だらだら過ごす決意をする。
ずっとこの繰り返しだ。
「起きるのが遅くても、当初の予定をそのままスライドさせて実行すればいいじゃん」なんていう人間は軽率だ。僕にそんなことはできない。早起きしなければならないのだ。
僕がこんな言い訳を重ねるのには、正当な根拠がある。
小学生の頃は毎朝4時や5時に起きて、新聞に目を通してから勉強をしていた。親に言われたからではなく、ただ自発的にだ。
受験を控えた高校3年生の頃も、1週間程度ではあるものの、やはり5時には起きて1日12時間前後勉強した時期がある。すぐに飽きてやめたけど。
こうやって僕がなんとか絞り出せる努力の成功経験は、どれも早起きしていた時期のことだ。
成功経験のある人間は努力ができる、というけど、僕にはこれぐらいしかない。それにしがみつくしかないのだ。
僕は今日も8時にアラームをセットする。本当は5時か6時には起きたいけど、今が10時なのだからそれは無理だ。少しずつ早めていく。
8時に起きても、「時間が半端だ。早くも遅くもない。今起きても仕方ない。もう少し寝よう。」となることはわかっている。
それでも、僕は8時に起きるつもりだ。