人生を一日にたとえたら、まだn時だよ?

知ったような顔をして上から目線でこんなうっとうしいセリフを吐いてくる奴、たまにいますよね。

寿命を仮に72歳とすると、3歳ごとに1時間が過ぎる。年齢÷3が今の時間ということになります。

18歳なら、まだ朝の6時。

30歳でも、まだ午前10時。

45歳でも、まだ午後3時。

 

人生、まだまだこれからじゃん! なんてポジティブな意味合いで使われることが多いこの言葉。

なんかおかしくないですか?

 

実際、朝6時ってどんな時間でしょうか。

総務省によると、日本人の平均起床時間は6時37分とのこと。まあ起きている人もいるけど、寝ている人の方が多いよ、そんな時間ですね。

 

じゃあ、18歳が朝の6時って、おかしくないですか? 0歳~18歳まで寝ている扱い? 何もしてないの?

いやいや、18歳までって既にがっつり活動してるでしょ。結構大事でしょ。

眠っている時間を含めるのはどう考えても不適切です。

 

 

というわけで、睡眠時間を仮に0時から6時としましょう。起きている時間は18時間。寿命を72歳とすると、4歳ごとに1時間が過ぎる。6時を起点に、年齢÷4を足すと今の時間になります。

スタートが6時なので、20歳なら午前11時。

32歳なら午後2時。

44歳なら午後5時。

 

こっちの方がしっくりきますね。

 

というわけで、僕はこういうしょうもない屁理屈みたいなセリフをしたり顔で吐いてくる奴には、こういうしょうもない屁理屈を返したくなるけど、グッとこらえてネットでぐちぐち言うタイプだということでした。

単行本、文庫本、Kindle本

相変わらず特筆すべき事柄のひとつもない毎日を送っていますが、今日は悲しいことがありました。

 

僕はなるべくKindleで本を買うようにしているんですが、未だに電子化されていない本って結構あるんですよね。

となると紙で買うしかなくなるわけですが、既に積みっぱなしの本が棚に収まりきらなくなっているので、大抵の場合、いずれ電子化されることを祈って購入を見送ります。スペースの問題はもちろん、どうせ他に読む本がいくらでもあるので、何も今買わなくてもいいな、と。

ただ、どうしてもこれは今すぐ読みたいな、と思った本は仕方がないので紙で買います。まあ実際のところ、届いてすぐに読み終えてしまうのは半分程度で、一年以上積んだままの本もあるんですが、概ね8割は届いて一ヵ月以内には読みます。

 

で、ついさっきのことなんですが、半年前から放置していた2割の方の1冊がふと目に入ったんですね。

ちょうど最近自分が興味を持っているジャンルの本だったので、「やっぱり買っておいてよかったぜ」と半年前の自分のセンスに感心しながら読み始めたんですが、まさに知りたかったことがわかりやすく載っているんです。「うわあこれ書いた奴、僕よりセンスあるんじゃねえの」と感心が止まらないわけです。

で、ハイセンスな著者のことをもっと知りたくなって検索してみると、つい最近新しい本が出たみたい。うわあ、気になる気になる! ワクワクしながら商品ページを開く瞬間、気付いたんですよね。

今僕が手に持ってる単行本の文庫版じゃん。

え、Kindleでも出たの? えっ。僕3000円で買ったのに、1000円? ポイントもついてるの? えっ。

 

別にお金はいいんですよ。買った時の僕は3000円の価値を見出して、実際に読んだ僕はそれ以上の価値があったと喜んでいたんだから。とか書いておくとちょっといい感じになるけど、普通に悔しい。2000円…

でも、それ以上に僕がアレなのは、わざわざ物理的なスペースを取る紙の単行本を買っちゃったじゃん、っていう。

単行本って無駄にデカイし、ハードカバーだと硬くて読みづらいし、最悪じゃないですか。いいとこないよ。僕はすごく嫌い。みなさんがどうかは知らない。でも僕は本当に嫌い。文庫本より単行本が高いの意味わかんない。

そんなものを買ってしまって、今日初めて開いて、でも僕が初めて開いたその時には、既に文庫本どころかKindle本まで出てて。

 

そんなに気に食わなければ1000円出してKindleで買い直せよ、ネチネチうるせえよ、そう言われても仕方がない。というわけで泣きながら買い直しました。

2016年になって小物臭が急激に強まっている自覚はある。元からだという自覚はまだない。

 

成人の日が来る度に嫌な気持ちになる

いつものように10時に起きたら家に誰もいなかったので、「ああ、今日は月曜日だったな」と油断して大音量でAVを流していたら(生活の一部にミニマリズムを組み込もうと画策している僕は、大量に保存してあるAVの厳選作業に励んでいる)、昼過ぎに親父が帰ってきたのでビビった。

「えっ、仕事は?」非日常的展開に戸惑いながら問いかけると、「成人の日だろうが」呆れたように親父が答える。本屋に行っていたらしい。

「あ、ああ、そうか…」なんともいえない面持ちで返すと、どうしてこんなに繊細な子供を作れたのか未だに全く理解ができないほど無神経な親父は、楽しそうに自分の成人式の思い出を語り出した。

しつこく成人式の感想を聞かれて僕がブチギレながら答えたの忘れたのかよ…

 

僕が成人式に行かなかった理由は単純。行ってもつまらないと思ったからだ。

参加していない上に、興味がなくて調べてもいないということで、式の内容を全く知らないんだけど、恐らく市長のありがたいお話を聞いたり、自治体によっては芸能人を呼んだり、そんなとこでしょう(と思ったけど、さすがに内容が薄すぎるのでもう少し何かあるんだろうか…?)。

どう考えてもつまらない。そもそも僕が住んでいる街の市長、顔も名前も知らないわ… 完全にどうでもよすぎる…

 

そんなわけで20歳の僕は、成人式なんて行ってもしょうがねえよなあ、と思って家で寝ていた。まあ、今考えても特におかしいとは思わない。そりゃそうなるよなあ、と思う。

 

しかし、歳を重ねるごとに妙な感情が湧いてくる。

「普通の20歳」は成人式に行っているのだ。当然、その後の同窓会にも。

はてなに入り浸っていると、「普通」という言葉に卑しいニュアンスを感じてしまいがちになるけど、なんだかんだで「普通」ほどベターなものはない。最高ではないけど、最悪でもない。いいか悪いかでいえば、いい寄りだろう。一般的な生活を送る上であれば、少なくとも悪くはない。僕みたいに静かにおとなしく暮らしたい人間にとって、憧れのワードだ。

 

20歳の僕は、とにかくすべてにうんざりしていた。

「普通」の日常を送るために、大して好きでもない人間と仕方なく友人ごっこをしていた中学、高校を卒業し、「ようやくすっきりできる!」と満面の笑みで嫌いだった「友人」をマイミクから外して、着信拒否して、「これで快適だわ~^^」と喜んでいたのはほんの数ヵ月。

当然、仲良しグループの中で、僕が嫌いな元友人と僕が本当に友人だと思っていた友人の仲が本当にいいということはあり得る。「友人」にとって僕より「元友人」の方が大事な友人だった、と突きつけられることはなかったけど、恐らく「友人」にとって僕も「元友人」も同じぐらい仲がいいと思っていて、複数人での遊びの誘いを受けることが多かった。

そこで僕が、「いや… あいつのことは嫌いなんだよね…」なんて言っても「友人」を困らせるだけだし、そういう時は自分からそのコミュニティを去っていった。その方が楽だったから。

 

そうして、自分の属するコミュニティがほとんどゼロになっていたのが20歳の僕。

わずかに残っているところも、同様のパターンでかなり居心地が悪くなっていた。

もう誰も友達じゃねえよ… どいつもこいつも糞野郎ばっかだよ… くだらねえ奴らに時間を浪費しちまったよ… もう誰とも関わらないでいいや… そう思っていた。

中高の同窓会も、今更行ったところでつまらないに決まってる。だってもう誰も友達じゃないんだから。そうして、20歳の成人の日は家で寝ていた。

 

でも、僕は間違っていた。

たまたま携帯の充電が切れていたのでわからなかったけど(当時の僕の携帯はまず鳴らなかったので気付かなかった)、当日は数十件の不在着信があった。中高の友人、何人もが僕に電話をかけていたのだ。

着信に気付いたのは翌日のこと。当時の僕は、「あれ、山田いなくねえ?」ぐらいでかけてきたんだろう、とりあえずかけただけだろう、薄っぺらい人間関係ってそういう安っぽい心配してます的なモーションしがちだよな、とひねくれて捉えて気にもかけなかった。

 

後悔するようになったのは、つい最近。

もうしつこいぐらいに書いているけど、僕は一人が好きだし友達が欲しいとも思わない。別に拗ねてムキになって言っているわけではなく、本心からそう思っている。

けど、あの時、成人式に行っていれば、同窓会に行っていれば、着信に気づいていれば、せめて翌日にかけ直していれば、「普通」の人間関係を楽しめる、「普通」の人間として、「普通」の生活を送れていたのかも知れないなあ… と思う。

 

成人式のニュースを見て嫌な気持ちになってお酒を飲みまくっているのでめちゃくちゃになっていますが、そんな感じ。

「やらないで後悔するよりやって後悔した方がいい」って言葉が死ぬほど嫌いな僕ですが、これから成人式を迎える人、成人式(同窓会)ぐらいは行かないで後悔するより、行って後悔してもいいと思う。人生で一度しかないんだから。