人間関係のミニマリズム part2

こちらの記事の続きです。

 

 

 

 

去年話題になった「嫌われる勇気」でも、「すべての悩みは対人関係の悩みである」なんて書かれてたけど、まあすべてとまではいかなくとも、大抵の人にとって一番大きな悩みは「対人関係の悩み」だと思う。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

僕もそれなりに人と関わっていた頃は、「どうして彼は平気でこんなことが言えるんだろう」「彼とは親しいけど、本当はあまり好きじゃないな」なんて悩んだり、イライラさせられることが多かった。

 

しかし、ほとんどの人間関係を断捨離してからは、ストレスを感じることがかなり減った。当たり前だけど、両親としか関わらないのだから苛立つ対象も両親しかいない。その両親との関係さえ良好に保てていれば、ストレスを感じることはほとんどない。

僕の場合は極端だけど、単純に関わる人が少なければ、その関係を良好な状態でキープすることの難易度は下がる。逆に、自分にとって重要でない関係をあちこちに広げすぎて、あっちもこっちも、というのは容易ではないはずだ。

 

もっとも、「嫌われる勇気」は「人間関係を断て!」というより、「他人が自分をどう思うかは他人の問題であって、自分の問題ではない。自分の生き方を貫け」的な内容だったと思うんだけど、まあそこは内容を鵜呑みにせず、自分にマッチするように都合よく改変して利用すればいい。

 

 

まあ、僕のように両親としか関わらない、みたいなやり方は万人におすすめできるものではないし、そもそも僕もこれをいつまで続けられるかはわからない。

それでも、現状の人間関係に不満がある人は多いと思う。

 

 

そこで、「どうしても我慢できない切りたい関係は切ってみてはいかが」という提案。

 

嫌いな相手でも、「上司だから関わらざるを得ない」とか、「共通の友人が多いので関係が悪くなると面倒なことになる」とか、障害はいろいろあると思う。

だからこそ悩むんだろうけど、耐え切れないほど不快な相手との関係を断てば、そのストレスから解放されることは間違いない。それができないと自分がますます苦しむことになる。

 

そういう人間関係を断つことは「逃げ」かも知れないし、場合によっては他にもっといいやり方があることもあるだろう。急に「上司が嫌いだからもう関わらないぞ」と言っても、異動を待つか自分が職場を辞めるか、という選択になってしまうし、必ずしも最適解とは言えない。

 

それでも、どうしてもつらくて自分が潰れてしまうぐらいなら、逃げ出した方がいい。再起不能になるまで追い詰められてしまうぐらいなら、ひとまず逃げて、それからもう一度ゆっくり考えた方がずっとマシだ。

岡村靖幸も「寂しくて悲しくてつらいことばかりならば あきらめてかまわない 大事なことはそんなんじゃない」と歌っている。

 

あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう

あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう

 

 

 

なんだか、「人間関係のミニマリズム」というより、「つらいなら逃げ出そうぜ」的な内容になってしまったけど、「自分にとって不快な人間関係が多いなら、最小限にしてみない?」というお話でした。

 

 

 

 

 

書いてる最中から薄々気づいてはいたけど、僕に本当に必要なのは文章のミニマリズムだな…